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    思い出を書く 8

    たぶんまだ兄が二十歳くらいのときゴソゴソと兄が部屋の片付けをしていたのでぼくはのぞきに行った。ガクランな制服が出てきて見ていると派手な竜の刺繍がしてあって「なにこれw」と問いただすと当時学校で流行っていたからしょうがなくやったと言う。いわく兄の時代は校内暴力というサブカルの終焉期であり、姉の時代は全盛期であったらしい。その学校にはぼくが小学生のとき遊びに行ったが窓とか割れていて怖いなと思ったが、一緒にいた友だちが全然空気よめないやつで、運動場で遊んでこーぜというので「やめとこうよ。怒られるよ」「だれもいないじゃん」とかいうやりとりをしつつ結局砂場で遊んでいたら案の定怖そうな中学生がゾロゾロ来たので死を覚悟していたら「なにやってんの?まぜてよ」とすごく優しかった。いろいろ話をした記憶があるがここに身内が通っていることは知られないほうがいいと子供ながら注意していたような気がする。しばらくすると一人が「なあこの石を走ってくるダンプに投げてみようぜ。投げてみろよお前ら」とヤンキーが言い出したので、僕はやっぱりダメな人たちじゃないかと青ざめたが友だちが「いいよ」と快諾して小石を握って目の前の大きな道路に出た。「おいお前もやれよ」とヤンキーが言うのでしかたなく友だちと一緒に走ってくるダンプめがけて小石を投げた。ダンプはでかい音を立てて走るので車体に少々なにか当たっても気づかず去っていく。じゃあフロント目がけないとダメだなと友だちと相談して見事フロントにヒットすると急停車しておじさんが出てきて「なにやってんだこの野郎!」と激怒して走ってくるので校庭の草に隠れる→セーフを何度か繰り返していると校舎の窓という窓から「いいぞー!」「もっとやれー!」と声援が飛ぶようになり本当にダメな学校だなと僕は確認した。後日とある漫画で有名になった学校だ。

     


    そんなことがフラッシュバックしつつ兄の通っていた学校のことを思い出していると「毎日どっかで喧嘩が起きてたけど俺は一度も喧嘩したことないよ」と言い出した。「なんで?」と僕がきくと、兄が入学した当時その学校で一番怖かったのが姉だったらしい。入学早々兄はスケバンの弟ということで先輩たちから意味不明なおじぎをされ大層大事にされたそうで、兄は兄で性格がとてもいいので同学年でも不興をかうことはなかった。「姉ちゃんってそんなに強いの?」「めちゃくちゃ強いよ」「男より?」「男より」というやり取りをしたあとも信じられないので僕は後日アメリカ留学中だった姉ちゃんと会ったときに「中学生のときスケバンだったって本当なの?」ときくと姉は知らないと答えた。どっちかが無駄な嘘をついていることになるので僕は何度もきいたらようやくそんなこともあったかな程度の答えが返ってきた。しかし聞きながらも「あの野郎余計なことをいいやがって・・・」という顔になっていたので深追いはしなかった。姉は僕にはとても優しいがなぜか兄にはとても厳しかった。姉は中学卒業後、ちょっと遠いところにある女子高に入学して僕を文化祭に連れて行ってくれたことがある。まわりからえーこんな小さい弟がいるの?とびっくりされながら、べつにそんなに小さくねーよと思いながら僕はいろいろなお店をまわって楽しんだ。その中に「特撮研究部」というのがあって、ウルトラQの上映会というのをやっていて、見たらものすごく感銘をうけてパンフレットまでもらい、その後いまにいたるまでの僕の特撮好きを決定付けた。生まれて最初に買ってもらったレコード(LP)はウルトラQのサントラというマニアックなものだが、最初聞いたときは死ぬほど陰鬱で怖かったが、これが聞き込むとなかなか味わいがあっていいもので、今はもうないけれどまたどこかで中古を見つけたら即買いするだろう。「ウルトラQ制作陣は神」「ウルトラシリーズはセブンまで」「ゴジラは二代目まで」「ガメラは別腹」「現行の特撮は子供に媚びすぎ」というこだわりをもった僕と奇跡的に意見があう友人がいて、中学生のとき一緒に撮影所までアポなしで乗り込んだこともある。撮影所の人たちはていねいにいろいろと見せてくれて、本物のウルトラマンやキングジョーの着ぐるみなどオークションにかけたらうん百万はいくであろう品々がえらく乱雑に置かれていた。帰りつつ友だちと「あの品々をあんな管理で大丈夫だろうか?」と真剣に心配したのを覚えている。ともあれ、僕はそのときも友だちの図々しさに冷や汗をかきながら見守っていた気がする。空気を読めない友だちがいるというのもいいことかもしれない。ただ、いま思えば女子高になぜあんなコアな部活があったのだろうかという疑問はいまもって晴れていない。

     

    23:19 じぶん comments(0) -
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      ゆりかもめ殺人事件

















      皆のもの!こんぶ殿が乱心でござるぞ!


      どうした!あっ何をしておるかこんぶ殿!


      ええいうるさいぞ!ひとりにしておけ!


      こんぶ殿これは裳着も迎えておらぬようなわらわに見えるが?


      わしがわらわで自慰をしてなにが悪い!


      犯罪であるぞ!!


      毎日見ている狼にはそんなやつばっかりだぞ!


      きちがいの巣窟ではあらぬか!見るなそんなもの!


      しかもこれはただの顔写真ではないか?


      なにをいうか!顔こそがもっともエロティックな部位ではないか!


      こんぶ殿!激しく同意するぞ!


      誰か寝返ったぞ!


      部位いうな!


      あっこんぶ殿が果てているぞ!


      早いでござる!

      11:55 じぶん comments(0) -
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        思い出を書く7

        ぼくは中学生のころ陸上部にいた。入学して最初の体育の授業で取った50メートル走のタイムが学年で一番速かったので教員に勧められたのだ。当時はベン・ジョンソンの問題があったり後継者がパッとしなかったりで、カール・ルイスの築いた陸上黄金期は昔の話になっていた。より遠くへ飛ばした者が称えられるやり投げや砲丸投げなどを見ながらローマ時代かよと眺めていたのを思い出す。



         

        秋には運動会が行われるが、学校で最も速い男を決める100メートル走があり、ぼくは1年生ながら3位になって一躍脚光を浴びた。順位は1位2位がともに3年生だったので、彼らが卒業したあとはぼくの天下になると自他共に信じていた。しかし翌年の運動会では1位2位が1年生で2年生のぼくは3位だった。さらに翌々年は1位2位が2年生で3年生のぼくは3位だった。ぼくは明らかに学年の恥さらしな存在になり、みなから疎んじられた。あだち充さんのマンガは、頼りなくかっこ悪い先輩がいてそこに颯爽と現れる1年生という構図がお約束だが、ぼくはあの情けない先輩たちの気持ちがとてもよく分かる。



         

        そんなこんなで良い思い出などなにもなかった3年間だったが、ごく近所の学校の同学年に100メートル走が全国で一番速い男子がいた。雨で湿った土の上だろうがおかまいなしに10秒台を叩き出す彼の姿をみれただけでもぼくは陸上部にいた価値があったと思う。陸上というつまらない競技は、大きな大会になると事前にコールといって出席確認みたいなのを30分おきとか1時間おきなどに3度4度とやるルールがあって非常にめんどくさい。恣意的な替え玉もしくは出走間違いによる記録ミスを防ぐためだが、そのコールのたびに全員集まって順番を確認する。忘れてコール漏れしたら失格になり、そのたびに選手は後ろから順番が詰められていく。



         

        とある大会でぼくの直前のレースの同じコースに、その全国一の男子の名前が書かれていた。となるとコールのたびにぼくは彼の真後ろに並ぶことになり、もしかしたら握手とかしてもらえるかもしれない!とかなりワクワクしていた。しかし彼は全てのコールに姿を現さず、ぼくは「あれっ?」と思ったけど係員のおじさんもそんな大選手の返事がないのに再確認することはなかった。あとで知ったのだが彼ほどのレベルの選手になるとコールなぞしなくても失格になることはないらしい。「男子100メートル予選C組並んでー」とか言われぼくらは横8列縦10数列のかたまりになってレースを待つのだがこれがかなり緊張する時間なのだ。そしてぼくの前には不自然に空いたままの空間があり周囲のひとたちもあいつ出ないのかな?病気か?などと噂していると、そのざわざわがどよめきになりなんだろうと思っていたら不意に全国一位の男がぼくの前にジャージ姿で現れ、軽くストレッチをしてジャージを脱ぎ、脱いだジャージをお供の人らしき者に渡してぼくのまえに座った。お供の人は彼におじぎをして去っていった。しばらくして彼が立ち上がりスタートブロックに足をかけ、100メートル先まで走っていき、そのタイムに会場全体がワーッとなる瞬間までは今でも記憶に焼きついている。金色のアディダスシューズに黒いユニフォームの彼は、最初の3歩ほどで周囲の選手を突き放し、動きは小さくてなめらかで、足音さえもしないほどに美しかった。

         

        23:28 じぶん comments(0) -
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          思い出を書く 6

          ぼくのいた中学高校は、偏差値でいうとどれくらいかしらないけれど、なぜかものすごいバカとものすごい頭のいい人が混在していた。妙な学校だったけれど、おかげで凡人でさえあれば頑張っても頑張らなくても、教員の注意を受けることがなかったので平和だった。エスカレーター式の学校の最も良い点は、受験がないので自分の好きなように勉強ができることであり、ぼくの友人には全部赤点のくせに生物学だけは学年1位だったり、世界史だけは常に満点だったりする人もいて、彼らはそれぞれ得意な分野に進んだり進まなかったりして、実に個性的だった。


           


          記憶に鮮烈なのはぼくが中学生のころ、高校に数学の天才がいて伝説になっていた。彼は授業中も休み時間もいつも小さな紙きれに数式を書きながらなにかつぶやいていた。彼はしばしば数学教師をバカにする行動をとっていたらしく、ついに発狂した数学教員陣が一丸となって大人気ない期末試験を作り、学年全員が0点という結果になり、100点以外とったことのない彼は初の99点となり、教員は「ざまあみろ!死ね!」と彼に向かって唾棄したらしい。そのニュースはぼくら中学校にも伝わり、どうやったら1点だけ間違えられるのだろう?といろいろ憶測が飛んだが、詳細は不明だった。現在も彼は数学の研究を続けて暮らしているらしい。


           


          上下関係に厳しい学生寮においてサイド6と呼ばれたぼくの部屋は5人部屋で、優しい先輩たちと、これまた穏やかな気風の同期のA君で楽しく日々をすごした。そのA君は中学に入学してから卒業するまでの3年間つねにテストは学年1位だった。全国模試でもよく1位になっていた。彼とぼくは文字通り24時間を共に過ごしたが、彼はほとんど勉強をする姿を見せなかった。教科書も買ったままのきれいな状態で、ノートは取らない。「なんで勉強しないのに良い点をとれるの?」とぼくが聞くと「よくわからない。でも授業中に教えられたことは授業中に覚える」と無機質に回答された。常に読書していたし今思えばとても長門的なキャラクターだ。彼は皆から変な奴だと敬遠されていたが、ぼくの押し花の趣味などを分かってくれる貴重な友人だったのでとても仲良しだった。




          その後彼は大学を卒業して(運転が好きだったので)車の運転手をしていたが、ある日電話で「会社を辞めた」と言ってきた。しばらくして新聞を見たら彼の名前が載っていた。1年ほど独学して司法試験に合格したらしい。合格者一覧をぼくがたまたま読んでいたから気づいたけれど、他の友だちはA君がいま裁判官をやっていることは誰も知らない。彼とぼくは今でもしばしばメールのやりとりをしている。イエス、エンター。

          23:16 じぶん comments(0) -
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            思い出を書く 5

             
            ぼくが中学高校のころ住んでいた寮は自然が豊かで、自然が豊か過ぎるとネットで話題の山中にあり、夜になれば人の両手を広げたくらいの大きさの羽をもつ巨大な蛾が天井に普通にとまっていたり、冗談だろというくらい長い足をもったゲジゲジ的な生き物が廊下をうねうねと歩いていたりした。雨が降ればこれまた見たこともないほどでかいミミズやナメクジが大量に発生し、そこはちょっとしたロストワールドであり、夏にみんなで肝だめしをやったら後輩たちが泣きながら戻ってきたので笑っていたら「狼が出た」というので皆で棒を持って見にいったら近くの池の周りの竹やぶに大きな白い野犬が群れを成していたこともあった。月夜に照らされた彼らはとてもスマートな表情をしていて、ぼくらはなにか自然界の使徒に出会ったような不思議な経験をした。もうすべてがうんざりだった。


            ある日曜日、ぼくは静かに昼寝を楽しんでいたら頭部をいきなり鉄鎚で殴られたような激痛が走り、ギャア!!!!と叫んで飛び起きた。右足の親指に巨大なムカデがぐるぐると巻きついていて咬んだのだ。足をバタバタさせてムカデを払い、2段ベッドの上からころげ落ちるとぼくは号泣した。痛くて泣いたのは今のところこれが最後である。親指はむくむくと当社比1.8倍ほどに腫れ上がり、ぼくは歩くこともままならず病院でも処置のしようがないということで消毒だけして結局1週間ほど苦しんだ。その後ぼくは上手にムカデを捕まえる機会に出くわしたので、カセットテープの入れ物にいれてムカデについて研究した。アリ(これもでかい)をいれてみるとものすごいスピードで噛み付きすぐに離れる。アリは動かなくなる。ぼくはムカデの毒とその俊敏さにおののいた。しばらくしてもなにも起こらなかったのでそのままにしておいたらアリがいなくなっていた。食べられたようだった。まず毒を使って人が見ていないあいだに食べる習慣があるらしい。2週間くらい机の上に置いてムカデを飼っていたら一緒にアリを探してくれていた友だちから「もう飽きたからやめない?」と言われたのでぼくは窓からムカデを逃がした。

            23:06 じぶん comments(0) -
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              おもうんだが




              女の子はモコモコしてたほうがかわいい

              00:09 じぶん comments(0) -
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                ふと

                おとなとこどもの境界線は
                片手でもてるくらいのモバイルサイズだった
                自分を育てておおきくしてくれた
                人たちの想像を絶するような
                愛とか忍耐とかさまざまなことが
                あったことを感謝できるかどうかに
                あると思うので
                僕はこんな歳だけどまだまだ

                10:59 じぶん comments(0) -
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                  思い出を書く3
                  小学生時代も終わりに近づいたころ、僕は転校し名前も定かでない人たちの写った卒業アルバムを教室のゴミ箱に捨てて大阪へ行った。中高一貫の寮には150人ほどが収容される。6時起床21時就寝、テレビラジオ漫画雑誌一切禁止という2日で生まれてきたことを後悔するような生活でしたが、それでも僕は恵まれていた。この寮の先輩には性格がよくないのが少なからずいて、1年生は一晩中立たされたり殴られたりするのだ。しかし僕の部屋にはひとり、ものすごく怖くて、そのくせ絶対に後輩をいじめない3年生のAがいた。ほかの1年生は先輩たちにいびられると僕の部屋に逃げ込んできて助けを求めた。誰もこの部屋まで追いかけてくる先輩はいなかった。僕のいる部屋はサイド6と呼ばれるようになった。僕は一度も先輩にいじめられたことはなかった。




                  のちに教員になったこのA君にはN君という同級生の親友がいた。のちに東日本学生ボクシングのチャンピオンになった高校2年生のチンピラを一発でKOしたという伝説をもつこのN君はとても心やさしい人だった。寮のヒマな人が集まってラグビーをやっているとき、N君の軽いハンドオフをおでこにくらった僕は5メートルほど吹っ飛び記憶を失った。僕が目を覚ますと「首だいじょうぶ?ごめんな。ゆるしてな」と冷えたタオルを持ちながらN先輩は心配そうに看病していた。その横でA君は「手加減せえや後輩殺す気かアホ」とののしっていた。




                  僕らが中学を卒業して高校の寮に移った日に噂が流れた。「今日編入してきた高校1年のMというやつがS君をぶっとばしたらしい」と。S君は短気だったのでちょうどいいやとみんな思ったが、Mはそれからも毎日寮のどこかでケンカをはじめるので迷惑なことになった。180センチ以上はあり大柄でイケメンなMは後輩にはやさしく、中学生たちとよく遊んでいた。僕は部屋で寝ていたらケンカを売られたけどすぐにあやまってポテトチップスをあげたら友だちになった。話の流れで「3年のN先輩にだけはケンカ売らないほうがいいよ」と僕はMに言った。「なんでやねん」「見たことないの?」「あるよ」「いかにも強そうでしょ。手とかグローブみたいにでかいしね」「俺のほうが強いっちゅうねん」とけっきょくM君は周囲の忠告を聞かずN先輩にケンカを売った。ある晩大きな音が寮に響きわたり、N先輩の部屋には人間がワープに失敗したような、若干トムとジェリー的な穴があいていた。N先輩に殴られて吹っ飛んだMが作った穴だった。それからMはだいぶおとなしくなり、卒業後は実家のヤクザを継いだ。ここまではすべて実話だけれど特殊な例であり、決して殺気にみちたバカ学校ではない。いたって平和でインテリジェンスな校風であり、僕の趣味は寮の庭に咲く草花を摘んで押し花を作ることだった。
                  19:57 じぶん comments(0) -
                  0
                    最近定番の主張。

                    どっかのツイッターだかタンブラーだかで知ったこの言葉。

                    お前の親に、養う能力がある限り、ニート続けときゃええ。今はただでさえ働き口がない世の中なんじゃけ。おまえが引きこもってくれるおかげで、誰かが職にありつける。それでええじゃろ。親にしてみりゃ厄介な子供じゃが、育て方にも問題があったんじゃ。しゃーないわな。

                    そのかわり、働く気もないくせに「社会が悪い」とか「政治が悪い」とか「派遣切りを許すな」とかエラそうなこと言うなよ。部屋でだまってゲームやっとけ。それが社会の役に立つ正しいニートなんじゃ。


                    竹原慎二さんという人のブログの言葉らしい。かつて爆笑太田さんも同じことを言い、矢沢永吉さんは不安定な職で働く若い女性に同じ趣旨の言葉を言った。つまり、自分の人生の責任は自分にあるんだよ、と。僕は半分正解で半分間違っていると思う。たとえば上の言葉では働く気もないくせに人のせいにするなという。この場合の人とは政官財。



                    この働く気もない若者の両親は、「この国に生を受けた彼のため」に莫大なお金を使い、その過程でもちろん税金も払い社会にマネーフローを起こしてきているのである。働かないニートに政治を語るなとシャットアウトするのは、ポリティカリーインコレクト。いっぽうでわずか1秒で数10万から100万円ほどの勢いでこの国の借金は増えているなか、天下りだなんだと名義だけ会社員で実際ニートのような生活をしながらものすごい給料をもらっている役人もいる。こういう状況下に縛られても「責任は自分にある」という言葉に共感してしまうジャップの十八番お上至上精神が垣間見える。



                    秋葉原の無差別殺人の犯人に対して姜尚中教授は、爆問学問で「彼に対して死にたかったなら一人で勝手に死ねと言ってしまえば、それはもう政治じゃない」と語っていたのが印象的でした。政治が責任をもたないことなんてないのだという政治学者の自負を感じます。



                    ニートだろうがなんだろうが、どんどん文句を言っていくべきだと、僕は思う。
                    政治的発言が許されないなら最初から義務教育なんか撤廃してしまえと思う。
                    コンビニに行って「僕政治に関与できないので消費税払いません」と言え。代表なくして納税なしだ。



                    半分正解で半分間違いと書いてながら、けっきょく猛烈に全面的に反対を唱えてしまいましたが、とどのつまり、責任という言葉で日本的人生論の美学と曖昧な政治参画の原理をごっちゃにしなければいいのなの。どっちにも責任があると思うので。だから竹原さんの言葉で一番よくないなと思うのは、政治や社会・雇用政策に文句はいうなと書きながら、親には責任があるなどと書いていることです。まあケースバイケースなのかもしれませんが、むしろ逆だろと思うんです。マトは親じゃないだろう。そんなニートこそ最低だ。

                    23:21 じぶん comments(0) -
                    0
                      思い出を書く2
                       小学校4年生くらいのとき
                      女子グループにデートに誘われたことがあった
                      そのグループのリーダーみたいな子が
                      僕のことを好きになったそうなのだ
                      僕は友人数人をつれて約束の公園に行った
                      そこは初めて行く場所だった
                      集まったのは男女4−4くらいだったと思う
                      それぞれブランコをしたり
                      ベンチでおしゃべりをしたりしているあいだ
                      僕は大きなジャングルジムの
                      真ん中あたりで仰向けになっていた

                      「なにしてんだ?」
                      友達の一人がきた
                      「すごいんだよこれが」
                      「・・・あ、うわー」
                      上のほうで遊んでいる女子たちのパンツが
                      見放題なのだ
                      僕たちは爆笑をこらえながら寝てるふりをしていたが
                      どういうわけか、それがバレた。
                      他校の生徒と思われるその女子グループは
                      ものすごい怒りで僕らを取り囲み、つるしあげた。
                      騒ぎを聞いて友人の女子グループがかけてきた。
                      「なにしてんだよ!」
                      「こいつらあたしらのスカートの中見たんだよ!」
                      「見るわけないだろブス!」
                      いやいや見たんですよねえさんと抑える暇もない
                      勢いで抗争は始まってしまった
                      僕はものすごい情けない顔をしながら
                      他の男子たちといっしょに
                      女子グループ同士の恐ろしい罵りあいを
                      5メートルほど離れて見ていた
                      それは10分ほどだったかしれないし1時間だったかも
                      しれない
                      恐ろしすぎて記憶にない
                      大人になってから八王子でヤクザグループ同士の喧嘩を
                      見たことがあったけどそれより怖かった。
                      「お前ら本当にパンツ見たのかよ?」
                      「うん」
                      「なにバカなことしてんだよ」
                      とため息をつく友達たちに心底申し訳なかった
                      「ごめん」
                      僕は罪を犯すということがどういうことか
                      身に沁みて理解した
                      21:00 じぶん comments(0) -
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